自分にむかってまっすぐに。「LOVE & HUG」

つれづれにおもう

沖縄から戻り、オフィスに出社したら

春先にいつも目を楽しませてくれていた辛夷(こぶし)が

影も形もなくなっていた。

坂道、オフィス下手の斜面あたりの整地をしていた気はしていたが

まさかあの立派な木をなくしてしまうとは思わなかった。

なんだかさ、とてもさびしいね。

 

ひとがこの地球にしていること。

同じ地球で生息しているイキモノにしていること。

ひとってなんなんだろう。

 

私、虫は苦手だよ。

だからえばれないし、大きなことも言えないよ。

だけど、やっぱりかなしい気持ちになる。

毎年毎年、見ていたんだもの、あの辛夷。

 

土地を売ること。

家を建てること。

足りないの?住む場所が?

困っていたから?

 

ちがうよね、きっとそうじゃない。

 

空気も土地も水も、ほんとは誰のものでもない。

でも、今の地球では

空気、土地、水はお金を出さなきゃ買えないね。

いい悪いではなくて、

考えてしまうと、ちょっとかなしい。

 

 

ナメクジだって、ありんこだって、ゴキブリだって好きじゃない。

それでも絶滅したら、

たぶん、絶対、哀しい気持ちになるんだよ。

ライバルをなくしちゃったような、

そんな気持ちになるんじゃないかなって。

 


One comment

  1. 由歌利さん、お帰りなさいませ&辛夷の件、残念ですね。

    一昨日、中学時代の担任の先生にお会いしました。生物が専門の理科の先生だったんですが、今は退職され、博物館の館長さんでいらっしゃいます。

    先生が最後に勤めていらっしゃった中学では、校庭に鹿がやってきたり(子鹿は人を見てもちっとも逃げなかったそうです)、教室の窓から絶滅危惧種の鳥が入ってきたりしたそうです。そういえば、自分もここ最近、ホタルや蛇、クワガタムシに遭遇していることを思い出しました。
    先生によると、住宅街と山の間に中間地点(林など)がなくなってきているとのことでした。

    我々の生活と山に住む動物たちの生活、いろいろなものが影響し合っているのが自然だということを改めて感じました。

    ホタルについても、「ホタルがいるからいい環境だ」とは単純に言い切れないそうです。
    先生は上高地で外来種の植物を調査しているらしいのですが、その環境ごと、生物同士の関係はそれぞれ独自であり、ホタルのいなくなった環境にホタルを持ちこんでも、環境全体のバランスは戻らないとおっしゃっていました。実際、人によって持ち込まれたホタルによって生態系が変わってしまっているケースもあるようです。

    高校時代の世界史の先生が「農耕の始まりが環境破壊の歴史の始まりだという考え方もある」とおっしゃっていたことも思い出しましたが、「人間」と「自然」という括りがわれわれの中にあり、前者が後者を支配・管理・利用・保護するという思考に限界があるのかな、と思います。

    宮崎駿さんの『風の谷のナウシカ』のコミックの最後で、ナウシカは、この星の未来は「この星が決めること」という決断をし、人間たちが自分たちで理想的な世界を作る計画を否定しました。

    地球・自然はわれわれの単なる対象物ではなく、われわれも含んだ大きな生命であり、そこへのつながりや愛情を持つことが、自分たちの心の安定にも大きく寄与することだと感じています。

    山に神様が祭られていたり、人々が気安く入れない場所があったり、昔の人はいろんな工夫をして自然をリスペクトし、自分たちの生活との共存をしてきたのだなぁ…というより、やはり「自然」「人間」という括り自体が虚構なんじゃないかなぁと思います。

    「自然」というキーワードでいろいろ思いついてしまったのでつれづれなるままに書き連ねてしまいました。
    長文で失礼いたします。

    コメント by 優太
    2012年7月12日 at 8:53 PM

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