自分にむかってまっすぐに。「LOVE & HUG」

再会

そろそろ秋も終盤。

山下公園大通り、黄金色の銀杏ももう終盤。

本格的に冬に向かう準備だね。

この季節の空と光は切ないほど美しくて、

朝も昼も夜も、見飽きることがない。

 

さて、今日はとても私的な題材について書いてみようと思う。

 

今月初旬、18年間会っていなかった父と再会した。

当時、大喧嘩や勘当事件があったわけではない。

上手く説明できないけれど、お互いにもう会わないかもという

無言の約束がなされたとでもいうのだろうか。

 

会おうと決心するまでに長い時間を要した。

父は死んだと思って今日まで暮らしてきた私にとって

知人を介しての知らせは衝撃的であったし、なにより

父との親子関係を構築せずにここまできていたせいで

実感も伴わない。

 

ただ、きっとなにかの意味があることなのだろうと自分に

言い聞かせながら、その意味を考えていた。

会いたくないわけではない。ただ、18年という歳月は

父に会うための理由を必要とした。

実際のところはどうだかわからない。でも、私の中にある

「家族」という言葉を本当の意味で理解するために

いま、会うべきなのだろうと思った。

 

そして、当日。

想像の中では、腰が曲がって情けなくなっていたりして?

と、想像しなかったわけではない。いや、最悪の姿も考えた。

あまりに陳腐な言葉だが…父は、やはり、父だった。

腰も曲がらず、相変わらずのダンディーさ。

75才には見えないことに驚きつつも、さすがに法令線が

深くなっていることに少し安心する。

 

お互い、涙するわけでもなく、どこか普通に言葉を交わす。

久しぶりに会う、48才の一人娘に投げかけた最初の言葉は

「おまえ、きれいになったんじゃないか。」だった。

なんだか笑ってしまった。お互い、普通に話す。

亡母にはじまり、親戚縁者の訃報報告やあれやこれや

必要なことを報告し合いながら、いつのまにか

18年間の空白が音もなく消えていた。

 

新しい住居やPCにいつの間にか身体がなじむように

私の心の中には、いつの間にか父のためのスペースが

できあがり、それがあたりまえになっていくのだろう。

 

「家族」という集合体について、はっきりと答えられる言葉は

私にはまだ見つけられない。

それでも、確実に、血を分けた肉親が存在することを

私の心が受け入れている。笑顔とともに。

 

亡母が死ぬ間際まで、離婚した相手である父親と二人で

写っている写真をお財布の中に大事に入れていたこと、

そして、生前の母に伝えた娘としての言葉を父にも伝えた。

「この世に生み出してくれてありがとう。」と。

 

亡母が、向こう側で笑っている気がする。

「よかったね」といいながら。


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