自分にむかってまっすぐに。「LOVE & HUG」

信じる、という言葉

信じるって、どういうことだろうね。

毎日、いろいろなところでこの言葉を目にしたり、聞いたりするでしょ。

ちょっと違う方向から考えてみようかな。

「裏切られた」という言葉があるよね。サスペンスドラマとか、女性週刊誌には必ずといっていいほど出てくるけれど、どうもピンとこない。

「裏切られた」というセリフを口にするということは、
その前に「信じていたのに」という前置きがあるはず。

すごい発言しちゃうけど、信じているということは、
裏切られてもかまわないということ(!?)だと私の辞書には書いてある。

なんていうのかな、
世の中では「信じる」ということが軽く定義されすぎているように思う。

信じるってことは、天地がひっくりかえろうがなにしようが、
とことん信じきる、信じ抜くことなんだよね。

ちょっと相手が挙動不審な態度を見せたり、
甘いといわれたものをすっぱく感じちゃったりしただけで、
言っていることが違うとか、信じられない、
裏切られたというのはおかしいと思わない?

とことんの「と」にも至らず、手のひらを返したようにそんなことをいうなら
「信じる」という言葉を使うべきじゃない。

信じた、信じる、というのはこちらの勝手。
こちらの意思で「信じる」のなら、最後まで信じきる。
もっといえば「信じる」ことを肯定するなら「裏切る、裏切られた」という
言葉の存在自体が必要ないことになる。

ビジネスライクな話にすると、約束して守られなかったのなら、単純にその約束を破った相手がいるという事実だけなんだ。それが嫌なら、約束を破った場合の決めごとをしておけばいい。裏切られたなんて言葉はウェットすぎると思うね。

公私いずれの場合でも、私は自分が信じたなら信じきる。
バカといわれようが、そうする。
もし信じた方向と真逆の結果になったら悲しいだろうし、辛いよ、確実に。
でも、それでいい。

相手に強要する類のことじゃないし、そもそも自分の判断が間違っていただけ。
誰でもない自分のせいで痛い思いをしているだけ。
「裏切られた」なんて口から出ちゃう人は、
自分の恥をさらしているようなもんなんだよ。

心の隅でいいから覚えていてほしい。
信じるという言葉は、なにがあっても信じ抜く覚悟の時だけ使うということ。
信じるという言葉は、魂の宿っている言葉だということ。


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