自分にむかってまっすぐに。「LOVE & HUG」

#152 *SPICE OF LIFE*「THE GAMAN」

※ここには掲載していないオマケ話をメルマガに載せています。
ええっ?!ってことから、どうでもいいお話までw。

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おはよう、由歌利です。

沖縄にも三寒四温があるのだと実感する今日この頃。

でも、4月に入れば長い夏が始まるのだと

タクシーの運転手さんが言っていた。

ここでの日常は、横浜でのそれとは比較にならない。

アポイントや時間に追われることもなく

自分軸に磨きをかけろといわれているかのよう。

見えてくるもの、感じるものが変わるね。

という私も、この一週間はかなり忙しなかったのだけれど

そろそろ日常に戻ります。

今週は、意味なくココロと床を磨く週♪

 

 

☆・:+:。+・。

 

 

自分に余裕がなくなると、あらゆることの見え方が変わってしまう。

あたりまえのことがあたりまえでなくなり、

こころの感度が鋭敏になりすぎて

どうでもいいことまでもが「問題」になってしまうことってない?

私もそんなサイクルにはいってしまうことがあるんだ。

 

 

これは、たいてい自分の気持ちや行動を我慢したり

なにか非日常的な出来事があるときに起こること。

で、ある瞬間にはたと気づく。

私が私らしくいれば、

すべての物事は流れるように進むのだということを。

気づく瞬間、冷汗が出ることもしばしばww

ふぅ~っと深呼吸して、自分を取り戻すの。

私もまだまだだからねw

 

 

☆・:+:。+・。

 

 

たとえば、相手のためを思って我慢というけれど、

ほんとうにそうなのかなと疑問に思う。

我慢は誰かのためにするものじゃなくて

本来は自分の欲をコントロールするためにあるんだよね。

 

 

出展は失念したのだけれど

日本人には「滅私奉公」という「自己否定」を

美徳として教え育てられてきた長い歴史があるという。

滅私奉公は私心を捨てて公のために尽くすこと、という意味。

ここには自分の欲におぼれずに精神を磨くという

素晴らしい意味が込められているのだけれど

勤勉な日本人はどこかで己を抑える=「自己否定」

という感覚をもすりこんできたきらいがあるように思う。

自分が我慢すればこの場をしのげる、

うまくモノゴトがまわっていくんじゃないかと。

 

 

でもね、実際「その場」だけはなんとかなっても

その場だけなんだよね。

一度我慢をすれば、同じことが起こったときにまた我慢する。

こころからその我慢が心地よいと思うのならそれでいいけれど

「我慢」は「本当はそうしたくないけれど、己にいいきかせて辛抱する」

という意味合いで使われるでしょ。

我慢は自分を押し殺す、

ようするに自己否定に近いことが多い気がするんだ。

 

 

☆・:+:。+・。

 

 

塵も積もれば山となる。

押し込めた気持ちはいつかあふれてこぼれだす。

愛からはじめたつもりの我慢は、

やっぱり「つもり」なんだよ。

「がんもどき」はいつまでたっても「もどき」のまんま。

そうじゃない?

 

 

場合によっては我慢も大切。

我慢を知らない人は傲慢になる。

でも、いきすぎた我慢は

自分を愛せないほどの自己否定につながりかねない。

 

 

いいオトナになったなら、

誰かに我慢しなさいとアタマから言われることなどほとんどない。

こころの中に渦巻く「我慢」は、

自分が勝手に「そうしなきゃいけない」と思い込んでいたり、

我慢していたら「誰かが気付いて救ってくれるかも」という

愛をかけられることを前提とした舞台劇のようなもの。

乱暴に言い切ってしまうけれど、そう思うんだ。

我慢しなきゃ、そんな面倒な感情を抱かずに済む。

 

 

「我慢するひと」って、あまりいい響きじゃないよね。

 

 

☆・:+:。+・。

 

 

もっと自分の感情や感覚を大切にしようね。

これは私にも言えること。

まずは自分で勝手に思い込まず

ちゃんと相手に言葉で伝えてみる。

恥ずかしいとか、こんなこと言ったら困らせるとか、

それは自分一人で考えている推測にすぎないんだもん。

言葉にする。

すべてはここから^^

LOVE & HUG:-)**

 

■次回配信は3/31(月)☆11時です。

そろそろ桜開花予報がきこえてくるね。


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