自分にむかってまっすぐに。「LOVE & HUG」

いわゆる「結婚」についての私的考察

「結婚」ってなんだろう。コレに悩んだり、振り回されたり、感動したり。

多くの人にとっては人生の一大事。

結婚に対する価値観は千差万別、これが正解というものはない。

とはいえ、二度の結婚と数々の相談を受けてきた経験からこれだけはいえるが、

結婚は、安心、安定、老後の保険、永久就職(古っ)、バラ色のゴールなんてものでは断じてない。

魔法を解かれた優しいお姫さま、白馬に乗った王子様は存在しないの、残念ながら。

 

 

日常生活に、美しくドラマチックな場面なんてものがないってことは誰にでも理解できると思う。

繰り返しの家事、仕事、飛び込んでくる雑事、体調不良に家族の揉め事、

予期せぬ出費、思うように予定を組めない…etc.

独身時代とは比べようもないわっさわさに面倒な日常の連続。

夫、妻、どちらにしてもいいとこどりの現実はありえない。

いってみれば、降りることのできない究極の人間関係だね。

その瞬間ごとに相手を思いやり、ときに生じる誤解をちゃんと話し合って

納得まで導きあう忍耐。聴く耳、対話する姿勢と言葉を持ち、

お互いの抜けたところを笑い飛ばし、カバーしあう度量を持つ。

あたりまえじゃない日常の些細なことすべて、

美味しいものを美味しいと伝え、感謝し、愛情を伝えあうことが、

結婚後の夫婦というチームを作り上げるマイルストーンなのだと思っている。

 

 

過去の一回目はね、このあたりぜんぜんうまくいかなかった。

ホントにオコサマな私だったから。

今の私にとっての結婚は、私が私であるため(夫もしかり)、

生きていくうえでの土台になっている。

いまは、この関係がない、ということが想像できない。

 

 

その理由のひとつは自分以外の斬新な視点を得られること。

私という人間のあり方、考え方を全方向から見て、知って、

そのうえでアドバイスをくれる類まれな視点。

ふたつめは世界中でただ一人、どんなときも、どんなことも

本音で話せる相手だと信じられる存在がいるということ。

みっつめは、なにかがあったときには全身で私を助ける、

守るという意識を持っている存在があると信じられること。

なによりも朝目覚めたときや、帰宅したときに、待っていてくれる笑顔であり、

一緒にお酒を飲んだら一番楽しい相手がその人であるということ。

こういった思いがあるから、いつか、夫が

寝たきりや痴呆で罵詈雑言を吐くひとになっても、

ちゃんと額に手を置いて「おやすみ」といえるだろうと思える。

私たちが結婚式を挙げたときに、列席してくれた親族・心友の前で誓ったことがある。

(以下、その要約文)

 


私たちは互いを支配・所有するためでなく、

理解・尊敬・共感しあい、

相手をさらに笑顔にするために、

社会的・法的な意味を越えた対等なパートナーとして

同じ未来を見つめ、

夫婦になることによって生まれる責任や負担を平等に分かち合い、

ともに精神的に豊かになるために結婚をします。

 

 

日々、こんな精神的な美しい言葉を暗誦しながら生活しているわけではない。

けれど、互いのあり方の根底に、この意識があることは常に感じられる。

ありがたいことだと思う。

結婚は、こうでなきゃいけないなんてルールはない。

結婚したふたりが心底よかったとお互いに思えたなら、そのあり方がベスト。

加えて、それぞれが自立した精神で自由な意識を持っていることって、

とても大切なことなのだと思う。

こうしなきゃならない、ああやらなくちゃと考えず、

「こうやったら相手が喜ぶね」と思って動けること。

分担や日常のあれこれをお互いがそう思えたら、もっと毎日が楽しくなる。

結婚は依存のための契約ではないからね。

 

 

また別の角度から考えてみると、

結婚は、法律で認められた家族の最小単位。

一般論として、家族や親子の関係は切っても切れないほど強いもので、

血縁関係は何よりも濃く、すべてにおいて優先される。

この感覚は家族でなければわからない、

血の通った親子じゃなくては理解できない、という。

 


ほんとにそうなの?と思う。

 

 

だって、事実婚も含めた夫婦はもともと全くの他人だよ。

他人同士がともに暮らし、新しい命を育み、ひとつの家庭を形成していく。

であるなら、「血=DNA」は家族であることの絶対条件ではないんじゃないかな。

結婚はたんなる社会的制度、

義務や責任の所在を明らかにするためのシステムでしかない。

でも、それを越えた関係を作れたとき、本当の「家族」になる。

一緒に暮らし、関係を深めていくことで

他人同士が血縁を越えた家族になっていくんだ。

互いを思い合う気持ちが、血よりも濃いものを作り上げることは

人類始まって以来の既成事実だもの。

 

 

結論。

結婚はしてみなければわからない。

でも、途中でどうしてもだめになったそのときには、

我慢しないでそれぞれ新しい道を選択することだよ。

一つ屋根の下で全く背景の違う二人が共に生活するんだもの、いろいろあるさ。

気持ちがないのに一緒に暮らしているって、普通に考えてもおかしいでしょ。

自分の家でストレス溜めているひと、多いと思うけどね。

あ、なぜか離婚のススメになっちゃった^^;

余談だけれど、離婚したとたん、

ぶつっと音がするように関係のすべてが途切れるケースってあるでしょ。

これも不思議なことだなと思っている。

そりゃ、DVや憎しみあってという場合は仕方がないし、

別れた本人同士っていうのもバツが悪い。

けれど、少し前まで仲良くお茶を飲んでいた姻戚の人々とさえ

隣人よりも遠く、赤の他人になる関係って不自然な気がするよ。

離婚をしたときに、そんなことを考えていた。

もちろんあわせる顔はないんだけどね(-_-;)

私は元の結婚相手にも今回の結婚報告をしたし、

お互いにしあわせでよかったねと言いあえるありがたい関係ではある。

結果短かったとしても結婚までした相手なら、

人生においてなくてはならないひとであり、経験だったはず。

時間がかかっても幸せを願いあえる関係になれたらいいね。

みんな仲良くが一番、袖振り合うも他生の縁だもんね。

Love & Peace、

とどのつまり、これに尽きるなぁ!


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